
これは白馬村岩岳地区に残っている民話です
白馬にもそれは激しい嫁と姑の争いがありました
ホテル主催の里山ウォークイベント「塩の道ウォーク」に参加すると現場を通ります。
(塩の道ウォークの実施は初夏から秋までです)
全国にある??嫁と姑の争いのお話です。

かつて白馬村切久保のある家におかるというそれは器量のよい嫁が来ました。
とにかくよく働きましたので、すぐに近所でも評判になったほどです。
「うちにもおかるのような嫁さんが来てくれたらどんなに助かるだろうか」
と近所からうらやましがられました。
ところがある日のこと、姑がおかるに向かって
「おかるや、このごろ少しみそ汁がしょっぱいで、みそを減らしたらどうだや」
いつもならおかるは快く聞き入れて返事をするところでしたが、つい
「そうかいねぇ、他の人はみんなうまいと食べてくれるが、減らさなけりゃいけねえかい」
と少しきつく言い返してしまいました。
それがきっかけとなり、おかるは姑のことを悪く言ってはじゃまにし始め、
姑もおかるのことがいちいち気にさわるようになり、互いに口汚く言い争うようになってしまいました。
その仲の悪さは近所のみならず、村でも有名になってしまったほどです。
近所の人や昔から仲良くしていた人も、はじめのうちはなんとかしようと嫁と姑の間にたって話をしましたが、
このごろではそれすら出来ないほど仲が悪くなってしまいました。

ある夜おかるは、昼間に姑から言われた「おめえのような、くだらねえ嫁はおらうちの恥だで、とっととうせろ」
という言葉がどうしてもしゃくにさわり寝つけませんでした。
何とか姑をこらしめてやることはできないかと考えているうちに、切久保諏訪神社・氏神様の宝物である七道の面のうち、
一番おっかない鬼の面をかぶって姑の寝部屋をのぞいてやろうと思いつきました。
次の満月の夕方、おかるはそっと氏神様へ行って般若の面を盗みだし、時の来るのをじっと待っていました。
やがて夜もふけた頃、おかるは姑の寝ている部屋の廊下へ行き、障子を破って般若の面をつけた顔をのぞかせました。
声をおし殺して姑の名を何べんも呼び、起きたところを見はからって、
「毎日おまえは嫁のおかるをいじめているので、今夜はおれが代わってそのおかるの恨みをはらしてやるぞ」
と脅しました。
姑は恐ろしい鬼が障子からのぞいているのをみて、あまりの怖さに声も出ず、その場で気を失ってしまいました。
計画がうまくいったおかるは朝まで一眠りしようとかぶった面をとろうとしましたが、どうしたことか顔にぴったりとくっついてはなれません。
さあ困ったことです。こんな顔を家のものに見られたら大変だと面をはずそうと必死になりました。
面をかきむしったために爪が裂けて血が出ましたが、いっこうにお面はとれません。
やがて外が白み始めました。おかるはこのときになって、これが氏神様のたたりだと気がつきました。
姑が憎いとはいえ、氏神様の宝物を盗み出して姑をおどしてしまった。この醜いやりかたはばちが当たっても仕方がないと思うようになりました。
家のもの、そして村のものにもこの姿をみられたらどうしようと思うと、いてもたってもいられず、
外へ走り出しました。気がつくと楠川にかかる瀬戸の橋の上に立っていました。
いっそここから身を投げようと川を見ていましたが、こんな面をつけた死体が浮いたらそれこそ恥ずかしいと思い直して川を見ていると、
切り立った岩のところに横穴があるのを見つけました。
「わたしはもうどうせ戻れぬ身、死ぬしかないのだからあそこへ入っておむかえを待とう」
その頃、おかるがいなくなったのを知った家のものは姑から昨夜のことを聞き、おかるのしわざにちがいいないと話し合いました。
そしてあちこち探すと瀬戸の橋の脇におんなの足あとがついているのを見つけました。
穴を見つけた村人たちはおかるに呼びかけました。
「おかるや、そんな面をいつまでもつけてないで家へ帰れや。姑様にあやまって、仲良く暮らさねえか」
しかしおかるは
「今までに何度そう思ったかしれません。でもどうしても姑様とは仲良くできず、
とうとうこうなってしまいました。神のばちがあたりこんな姿になった私をどうかそっとしておいてください。みなさまの幸せを祈っております」
村人たちはおかるの悲しい言葉をきき、楠川の洞穴を引き上げました。

それからのおかるは洞穴の中で念仏を唱えていたといいますが、七日目にはその声も聞こえなくなりました。
村の人々は「いくら憎しみあうにしても、これほど激しいにくみあいをする前に、ゆるしあえないものか」と噂しました。
その後、楠川のこの岩穴を「おかるの穴」といい、どんなに大水が出てもこの穴が隠れることはありませんでした。
これは氏神様がおかるのなきがらを、せめてものお慈悲で水攻めから守っているのだということです。

