塩島城主の悲劇-白馬の昔ばなし

戦国時代、白馬にもお城があったのをご存知ですか?

白馬村の北側、「信濃森上駅」から程近い場所に今は城跡として残る塩島城。
この城主にまつわるお話です。戦国時代に悲しいお話がありました。

白馬森上駅近くにある塩島城跡
塩島城跡

時は戦国時代。
このあたり(現在の白馬村周辺)では越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が熾烈な戦いを繰り広げていました。
信玄公には四天王と呼ばれる家来がおり、その一人、山県昌景(やまがたまさかげ)に信玄公は命じました。
「信濃へ入り、各地の城を攻め落とせ」

昌景率いる軍勢は大町市美麻の大日方城を攻め落とし、続いて白馬岳のふもとにある現在の白馬村南部、飯森城や飯田城を攻め落としていきました。
この知らせは飯田城の北に位置する北城村、塩島城主の但島守勝雄(たじまのかみかつお)の耳にも伝わりました。
塩島城は当時は三方が断崖で四ヶ庄平(今の白馬村)をひと目でみわたせる、守りのよい場所にありました。
但島守は、岩場に立って、
「我が塩島家は前から武田方に従っておることは昌景殿はよくご存知のはずだ。我が城が間違っても攻められることはないと思うが・・・。」
心の中でそうつぶやきながらも、なぜか落ち着きませんでした。

心の中のもやもやをなくすべく、但島守は考えをめぐらせました。近いうちに昌景殿が尋ねてくるだろう。 来訪された際には昌景殿に敵意がないことを見せるために、盛大にもてなそうではないか。
しかし露骨にもてなすのも面白みに欠ける。ここは昌景殿に気づかれないように内密にもてなしの準備をしようではないか。
そう決めると城の者たちに用意をさせるため、城内はその準備のためにあわただしくなっていました。

その頃、塩島城に昌景の使いのものが尋ねてきました。

塩島城を遠目で確認するなり使いの一人が言いました。
「城内のこのあわただしさは何事じゃ」
それに答えるように、もう一人の目の鋭い使いのものが疑い深そうに言いました。
「まるで戦いの準備をしているようではないか。もしや越中の上杉に寝返り、我々がこの地域の城を攻めていることを知って、それに備えているのではないか」
「いや、但島守に限ってそんなはずはない。但島守は先代より武田方に従っておられると聞きおよんでいる」
二人の使いはそんな話をしながら城へ着くと、大手門をくぐり城内に案内されました。

塩島城跡に程近いお堂
今でものどかな風景が広がります

昌景殿の使いが来たことを知った城では、もてなしの準備を悟られまいと、必死に平静を装いました。
そんなことを知らない二人の使いは、その不自然な変わりようを見て確信しました。
「間違いない。但島守は武田方から寝返って戦の準備をしているのだ」
そして二人は但島守の前にひれ伏すと
「わが主が但島守様に早急にお目にかかりたく出向くようにとのおおせでございます」
それだけいうと早々に帰っていきました。

陣に戻った使いは塩島城の様子がおかしいことを昌景に伝えました。
「おどろくほど大量の食糧が城内に運びこまれておりました。なにやら城内がものものしく、 戦でも始めそうな気配がいたしました。殿に万が一のことがあってはならぬと、城主にこちらに出向くように伝えてきました」
すると昌景は使いのその言葉を信じ
「おのれ但島守め、わが方に従っておるというのは、見せかけであったか。裏切り者はかまわず討たねば。 だが、このことは但島守に決して悟られぬように迎えいれるのじゃ」
そう言いつけました。

そんなことになっていることを知らない但島守が、昌景の待っている陣へやってきました。
昌景もにこやかに但島守を迎えます。そうして但島守に酒をすすめながら言いました。
「但島守様は武田殿に従っておられることがよくわかりました。さあさあ存分にお召し上がりくだされ」

・・・そうして酒盛りは続き、夜もふけた頃、昌景が但島守にもちかけました。
「今夜はわが陣にお泊りくださるがいい。風呂でも浴びてからゆっくりとお休みくだされ」
但島守は心からのもてなしと思い、昌景に礼を言いました。
湯殿に案内された但島守は気持ちよく湯舟に浸かっていると、音もなく湯殿の戸が開き槍を持った覆面の武士がひらりと入ってきました。
そして、但島守の背中めがけて槍を一突きすると、すばやく湯殿から消え去りました。
「うっっ」
と一声あげただけで血潮に染まった湯舟の中で息絶えたのでした。

時に弘治二年(1556年)八月二日のことだそうです。

今この塩島城は緑に囲まれひっそりと風景に溶け込んでいます。

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